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 ※販売済みとなりました。



銘苅春政 三線 江戸与那:えどゆなー
 






チラ(顔)は銘苅さんの特徴が良く出ています。
糸蔵は長めで江戸与那三線は別名「糸蔵長」とも言われています。





カラクイは玉城カラクイと呼ばれ頭部は牛骨でできてます。
現在牛骨で製作する方はいません。
沖縄県内の在庫は10セット程で希少な商品となっています。




糸蔵の内側には金箔が貼っています。



棹の塗りは「すり漆」と呼ばれる透明塗りなので材料の模様がはっきりしていて味わい深いものとなりました。



この胴体に張ったニシキヘビはタイ産のものでその色合いから「赤皮」と呼ばれて呼ばれていました。
現在「赤皮」を沖縄県内の三線店で見つけるのはかなり困難でしょう。









裏面の模様もなかなか見られない特徴があり飽きさせません。








さらに嬉しいサービスを追加

三線の最高峰といわれているものに盛嶋開鐘三線があります。

この三線には開鐘チーガと呼ばれている特別なチーガ(木枠)が使われています。

この開鐘チーガと同じ構造で製作した高級本張りを追加でサービスいたします。

一つの棹で2種類の音が楽しめます。


開鐘チーガとは画像左側の胴体



三線盛嶋開鐘 附胴(さんしんもりしまけいじょう つけたりどう)


まず、棹と胴体の角度を合わせます。
合わせたあと胴体胴体をはずして皮を張ります。


下は皮を張って棹にはめ込んだもの。




完成後はこうなりました。





製作者 銘苅春政氏

1934年 玉城村生まれる。

沖縄県指定工芸士(三線部門)。現代の名工。
胡弓奏者としても県から沖縄伝統芸術の技能保持者に認定されている。

銘苅三線の特徴はその造形の美しさにあり「銘苅型」ともいわれている。
若い頃の作品は男性的な太棹を製作。
年齢を重ねるごとに女性的な細く丸みを帯びた棹へと変化している。




心(しん)には江戸与那の特徴である3つの孔があります。








江戸与那三線

糸蔵が長いので別名糸蔵長(いとくらなが)ともいわれます。

カラクイは黒檀製の玉城カラクイです。
このカラクイの頭は牛骨でできていて現在このタイプのカラクイを製作する方はいません。
また、このカラクイの在庫は県内では10セット程と大変少ないものとなっています。

江戸与那の心の側面には大小三つの穴(3分、2.5分、2.2分)があいてます。



三線 江戸与那(沖縄県指定有形文化財)

名工 与那城が考案した型。 江戸上りの際に使節が携行したことが名称の由来です。
予備の弦を巻くために糸蔵が他の型より長めなのが特徴です。
沖縄県立博物館のは19世紀中ごろ島津家に献上された名品の一つといわれています。
1939年東京で発見され沖縄に帰郷しました。
沖縄戦の際にハワイに持ち去られてしまいましたが1953年沖縄に返還されました。

棹は太めです。
全長は800.1mm
野面が糸蔵の端まで一直線です。
範穴はやや下方に開けられています。
糸蔵は長く、50mmあり鳩胸(75.8mm)も大きめです。
この型は、小与那城型、江戸与那型、佐久川の与那型、鴨口与那型の四つに分かれます。
江戸与那の心の側面には大小三つの穴(3分、2.5分、2.2分)があけてあります。

江戸上り



琉球は薩摩の支配下に入って後、幕藩体制下、将軍の代替わりには慶賀使、琉球国王の代替わりには 謝恩使を江戸へ派遣することが義務づけられた。唐風の行列は目を引き、薩摩にとっては〈異国〉を従えていることを天下に誇示する機会でもあった。江戸城内では将軍の前で楽などを奏した。薩摩入りの時、捕虜として薩摩に連れて行かれた尚寧王から明治維新の慶賀使まで、計21回(うち2回は慶賀使・謝恩使を同時派遣)にのぼった。

江戸与那三線は首里の王様が江戸上りをする際に路次楽に用いられたことからこの名前がつけられたとされている。



この三線について

 

棹型:江戸与那型

棹製作:銘苅春政

棹塗り:湖城

カラクイ製作:玉城

チーガ:金丸



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